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2008年9月

スタート地点は遠い

翔太の仲間うちで、バナナと呼ばれてるやつが居る。
そいつはいつもバナナをかじりながら、公園の噴水の前にぼんやりと座っている。

翔太はそいつが大嫌いだった。


[ スタート地点は遠い ]


「おいバナナっ」

翔太は今日もそいつに挑んだ。黒いランドセルは今年の四月、祖父母が買ってくれたものなのに、もういくらかの傷が目立つ。

そいつはこの近くの中学の制服を着て、翔太が家へ帰るこの昼間の時間にいつもそこでバナナを食っている。
だから、あだ名はバナナ。

「何?」

そいつは億劫そうに翔太を見た。自分がバナナと呼ばれたことも、対して気に留めていない。

「何でいっつもバナナ食ってんだよ!」
「24回目の質問だね」

そいつはまだ半分もなくなっていないバナナをかじって言う

「24回目の答えだよ。好きだから」

それこそ24回聞いた。

「んだよ、ずーっとバナナ、バナナ、バナナ!動物園のサルでもりんごとか食ってるぞ!」
「じゃあ、そのサルはりんごも好きなんでしょ」

言ううちに、彼はパクパクと残りのバナナを食って、皮を丁寧に近くのゴミ箱へ捨ててから、顔だけを翔太へ向ける

「じゃあ、帰るから。早く帰った方がいいよ、腕白」
「ワンパクってなんだよ、バーカッ」

翔太の罵声はそいつには届かない。



++



其の日は憎たらしいほどの快晴で、空は驚くほど碧く、雲はムカツクぐらい白かった。
木陰にある噴水の前には、やっぱりそいつが居た。

「やぁ。なんだかんだ、六年目の付き合いだね」

翔太を見つけて、そいつはいう。

「お前が俺の通学路にいるからだ」

翔太は答える。

「君が昼食の真っ最中に来るからだよ」

翔太はすでに悟っている。そいつに何を言ったって、自分は勝てないことを。
翔太はどっかりと隣に座る。
そいつはいつの間にか林檎も一緒に持ってくるようになっていて、いつも丸々一個、紅いリンゴを翔太に渡す。

そして翔太は、それをかじる。リンゴの味なんて飽きたけど、食べないとさびしくなる。
・・・リンゴ中毒。バナナはバナナ中毒だ。
子供達の不思議なものを見る視線が痛かった時期もあるが、もう気にもならない。

低学年の頃はそれこそ毎日、この時間にここを通った。けれど高学年にもなれば、授業は六時間が当たり前である。
そいつと会うのは、隔週の土曜日だけ。
翔太はそいつが嫌いなのに、会わないとさびしくなる。
其れが悔しくて、翔太は出会うたびに罵声を吐いた。
けれどそいつは、表情も変えず、時間になるまでのんびりとバナナを食べながら翔太をからかい、帰って行く。 「ランドセル、随分年期がいったね」 「・・・んだよ」 あの日ピカピカだったランドセルは、今や塗装がはげてボロボロのグシャグシャである。 「腕白、なにかあったんだ?」 そのセリフに飛び上がった翔太は、まじまじと隣のそいつをみた。 「・・・え。バナナ、何言ってんの」 「何かあったんだね、って言ってる」 翔太はしばらく開いた口がふさがらなかった 「だらし無いよ、あけっぱなしは」 「な・・・んだよ、お前、俺のクラスのぞいてんのかっ」 ふ、とそいつが笑った 「そこまで暇じゃないよ。それに、もう帰る時間だけど、もし何か言いたいことがあるなら、言ってみなよ」 翔太はむっつりと黙りこんだ。 其のままそいつがいなくなればいいと思ったわけでもないし、かといってそいつに突っ込んでほしいと思ったわけでもない。 ただ言葉にならず、じっと黙ってうつむき、スニーカーのつま先で土を蹴った 「バナナは何でバナナ食ってんの」 「31回目。好きだから」 「じゃあ32回目。何で。何で毎日飽きもせずこんなところでバナナ食ってんの。友達いねぇの」 返事が無く、翔太は驚いて顔をあげた。そいつは、うーん、と呻きながら翔太と視線を合わせて、そして言った 「そうだねぇ。はじめは、学校って面倒だったから、家のバナナ持ってきて此処で食べて帰った。
 そしたら、変な小学生が毎日突っかかってくんの」 一瞬訳が分からず、ようやく翔太は、その小学生の正体に思い至る。 翔太が言い募る前に、そいつは続けた 「はじめはウザくって。だって、子供嫌いだし。けど、そいつ見てると思いだして。
 ああ、あん時、学校、楽しかったなって」 それは初めて聞くバナナの独白。思わず息を止めてしまったことに気づき、翔太は慌てて息を吸う。 「そう思うと、毎日の罵声も、聞かないとさびしくなるようになってね。変だね。Mじゃないはずなんだけど」 そいつは微笑む。いつも詰まらなさそうにしていたのに、いつの間にこうやって微笑むようになっただろう 「けど、それももうお終い」 そいつは立ち上がる 「今日で最後」 「え・・・」 翔太は訳が分からず、思わずひっくり返った声で問い返した 「なんで!?」 「だって、今日卒業式だったし。・・・大学、遠いから」 そう言ってバナナはすたすたと、いつもとは反対の方へ歩き出す 「ば、バナナっ」 翔太ははじめて、去っていくそいつを追いかけた。 「な、なんだよ、ど、どこの・・・どこに―――」 「・・・君のさっきの、31回目の質問に答えてあげよう。ウチ、八百屋なんだ。だからバナナがいつもあった」 振り返らず、そいつは妙に明るい声でそう言って、そして、早足で歩き去ろうとする。 「・・・何だよクソ女っ」 「そんな暴言、私以外に吐いたら嫌われるよ」 「いーよっ」 翔太は少し離れたそいつに大声で声をかける 「俺の話、聞くんじゃなかったのかよ、バナナ女っ」 「失敬な」 翔太が成長の早い少年だったからだが、
そいつはいつの間にか自分よりも背が低くなっていて、いつの間にか伸びた髪は少しだけ茶色い。 「バナナ女ってのは、全身黄色い人のことを言うんだよ。腕白」 「・・・バナナならどうすんだよ。クラスの女子二人からコクられたら」 翔太は問いかけた 「そうだね。ここで毎日、バナナ食べてみるかな」 そんな答え、と言い掛けて、翔太は笑った。 「あんたの家と違って、俺の家は一軒家だから、バナナは手元にねぇよ」 「そうか。そりゃ残念」 「だからさ」 翔太はまっすぐそいつを見て、言った。 「毎日俺の分、バナナ持ってきてくれよ。ずっと」 「・・・そうだねぇ」 そいつは微笑む 「君が毎日、通るんならね」 ++ 翔太はそして空を見上げる。 彼女を追いかけたかのように、翔太は近くの中学から高校へ進学した。 彼女と違い、学校生活は楽しく、不服もそんなになく
―――あえて言うなら、成績が不安で仕方がないが―――おおむね良好に過ごしていた。 けれど翔太は忘れられずに、毎日昼になるとこの公園の噴水に腰かけて、彼女と同じ場所で弁当を食べる。 流石に毎日フルーツは、育ち盛りにはきつかった。 友達は不思議がるし、クラスメイト達ははやし立てるけれど、
翔太は人づきあいの良い方だったので、あまり頓着されなかった。 だから結局、翔太はあれ以来彼女に会っていない。 翔太は彼女の本名すら知らない上に、八百屋なんてこのあたりにはなかったのだから、追いかけようもなく 毎日通ったら、と彼女は言った。 けれど翔太は通れなかった。 未練がましいなぁ。そう思いながら、翔太は今日もそこへ座って弁当の包みを開ける。 不意に影が自分を覆った。 翔太は顔を上げる 「早いじゃん」 逆光で顔は見えなかったけれど、その声は、懐かしいあの声で、だから翔太は勢いあまって立ち上がった。 膝の上に乗っていた弁当がひっくり返っておちる 「ば、ば、ばなな!」 「バナナがいいの?」 其の手に持っているのはひと房のバナナと、ふたつ入りパックのリンゴが入った近くのスーパーの袋だった 其れを指さし、そいつは微笑む 「実家。継ぐの」 それは翔太が中学生になってから通い詰めていると言っても過言ではない小さなスーパーマーケットだった。 「や、八百屋・・・八百屋・・・ああ、うん、確かに八百屋だ」 訳の分からないことを言いながら、翔太は目の前のそいつを見る。 「背ぇ、伸びたねぇ」 「・・・アンタなんか嫌いだ」 翔太はそいつを見下ろす。 「俺がどれだけ―――」 「いいじゃない。ほら、バナナ、食べようよ」 翔太の隣に座り、そいつはバナナを昔のようにほおばる 地面に落ちた弁当に気が付き、ひどく落胆する翔太に残りのバナナと林檎を押しつけてから、そいつはいう 「結局ね」 翔太は自棄になって、りんごにかじりついてから、そいつを見る 「心配になって、寂しくなって帰ってきた。こんな町、出て行く気だったのに」 「何だってんだよ」 分かんないかなぁ、とそいつは不服そうな顔をして翔太を見た 「迷惑じゃなかったら、明日も明後日も、バナナ持ってきてあげるって言ってるんだけど」 「・・・っ」 咄嗟に齧ったリンゴを丸のみした翔太はのどを詰まらせる。 必至で飲み込み、酸素を取り入れながら翔太は問い返した 「ま、マジ・・・何、年ぶりのっ・・・返事・・・つか・・・俺いっぺんフられ・・・っ」 そいつは微笑んでまたバナナをかじる 「馬場奈保子」 其の時の笑顔を翔太はきっと一生忘れはしまい。 噴水の噴き上げる水がいい感じにそいつの後ろでキラキラ跳ね返って、
そいつは初めて会った時よりも全然、嫌ではなくて。 ああいや、そうではない。そうではなくて。
そう、とても、奇麗で。

「ご、五里翔太・・・」
俺達はもしかしたら、10年目にしてようやく、スタートラインに立ったのかもしれない。

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